HOME > 自然派化粧品の始まり > 自然派化粧品の誕生 〜創業から戦後まで〜

1935(昭和10)年、大阪で一つの化粧品会社が創業しました。 化粧品を「美しく化する素」と考えた創業者・八木常三郎は、社名にその想いを託したといいます。 その社名こそ「ピカソ美化学研究所」。現在はコスメナチュラルズを統括するグループ企業であり、日本で最初に自然派化粧品を生み出した化粧品会社でもあります。
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「ピカソ美化学研究所」創業当時の、企業理念です。
健康なお肌にこそ美は宿るもの。そう考えた常三郎は、自然派にこだわり、日本で初めての洗顔クリームを始め、次々と新商品を開発し続けました。
彼のそんな想いが通じたのでしょう。世の女性はピカソの自然派化粧品をこぞって歓迎しました。
業績は順調そのものでしたが、日本は次第に大きな暗闇へと進んで行きつつありました。そう、戦争の始まりです。
1937(昭和12)年の日中戦争を機に、日本では贅沢品の統制が激しさを見せるようになりました。
衣料品や宝石、そして化粧品。戦時中の女性に許された化粧と言えば、おしろいや口紅程度で、生産中止に追い込まれる商品も少なくありませんでした。さらに商品をパッケージする容器にまで統制が及ぶようになったのです。
戦火によって、化粧品の原料も手に入りにくくなった当時、常三郎は一計を案じました。
限られた資金を、洗顔クリームの原料である「オレイン酸」の入手につぎ込み、ドラム缶に封入して土中に埋めて戦火をまぬがれました。
しかし、この一計が功をそうし、原料不足により多くの工場が操業停止に追い込まれる中、
ピカソ美化学研究所の工場はわずか1日休業したのみで、生産を続けることができました。
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常三郎のそんな想いが垣間見えるエピソードです。
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